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クリムゾンを、君に

デスクリムゾン




全ての始まり デスクリムゾンとは?

デスクリムゾンというゲームをご存じでしょうか?

1996年に発売したセガサターンのガンシューティングで、
発売元は関西に本社を持つゲームハウス・エコールソフトウェアです。

このゲーム、1998年に出た「超クソゲー」という本で紹介され、一部の物好きの間で熱狂的に愛されてきました。

超クソゲー

クソゲーとは、クソみたいにつまらない、出来が悪いゲームの事です。




ゲーム雑誌の週間人気ランキングで、連続最下位記録を更新

ゲーム雑誌「サタマガ」では、セガサターンの全タイトルを対象に、毎号、人気投票を行っていました。
その「読者レース」と呼ばれた人気ランキングで、幾度となく最下位に選ばれ、他を圧倒したのが、このデスクリムゾンです。

その勢いは留まるところを知らず、史上最多の「18連続の最下位」を記録。
全145回の人気ランキングの内、実に69回もの最下位記録を打ち立てるという偉業を達成しました。




メーカーロゴはスキップ不可!謎の石仮面

エコール


ゲームを起動すると、まず表示されるのが、メーカーロゴ画面です。

血のような色の背景に、デスマスクのような仮面が2つ浮かび、「ECOLE」の文字が一文字一文字、ゆったりと現れて定位置に収まります。

民族音楽のような、不思議な音色のBGMが流れています。

そして、この画面が表示されている約15秒間は、どのボタンを押しても絶対にスキップできません。

当時、事前情報も無くプレイした方がこの画面を見て、どれほどの衝撃を受けたか、想像してしまいます。

その衝撃が「とんでもねえゲームがあるぞ!」という発信につながり、ネット上での認知を早めたのではないかと想像しています。



下の動画で、衝撃のロゴ画面が見られます。






一番の見所はオープニング!



まずは何も言わずに、2分ほど上の動画をご覧ください。

このゲームのとんでもなさが十分に伝わると思いますし、このゲームの真髄はゲーム内容よりも、このOPであると言っていいと思います。

動画の冒頭では、粗い3Dモデルで作られた謎の生命体が奇声を発しています。
3DCGのレベルは、この時期のゲームとしても、かなり低いことがお分かりいただけると思います。

さらに驚くべきことに、実はこいつラスボスなんですよね。
ラスボスがオープニングにいきなり登場している訳です。
斬新な構成ですよね。

続いて表示されるのは、主人公「コンバット越前」のプロフィールです。

Full Name 越前康介
Code Name コンバット越前
Age 29
Size 181cm 70kg

コンバット越前。それがこのゲームの主人公のコードネームなのです。

コードネームと言いつつ本名が入っていますけども。

続いて、コンバット越前の姿が登場するんですが、左手が棒みたいになっているのが気になります。

コンバット越前



その後、コンバット越前と戦友のダニー、グレッグと、戦場で会話するシーンが流れます。

コンバット越前と戦友の声が素人っぽく聴こえたため、「社員を使ったのでは?」という説が流れていましたが、後に、本職の声優さんを起用していた事が明らかになっています。
演じていたのはせいじろうさんという方で、コンバット越前や他のキャラクター、ナレーション、効果音など、ゲーム中の全てのボイスを一人で担当していたそうです。

会話の内容は、おおむね以下のような感じです。


コンバット越前「ダニー、グレッグ、生きてるかぁ!?」
戦友「あ゛ぁ、何とかな!」

コンバット越前「上から来るぞ、気をつけろぉ!」
(何が上から来るの?)

戦友「こっちだぁ、えちぜぇん!」

コンバット越前「何だこの階段はぁ!」
(と言いつつ、全速力で降りる)

戦友「とにかく入ってみようぜぇ!」

コンバット越前が建物の中に入ると、気が抜けたBGMが流れ始めます。

そして、建物の奥にある扉に、カメラがズームしていき、

「せっかくだから!
 俺はこの赤の扉を選ぶぜ!」



というセリフが、コンバット越前の口から放たれます。

せっかくだから? せっかくだからって何???

赤の扉と言いつつ、赤くないよ???

ユーザーを混乱に突き落としつつ、ムービーはどんどん先に進みます。

コンバット越前が「赤の扉」をくぐると、そこにあったのは、1丁の銃でした。

ナレーションと字幕が流れますが、その内容はこうです。



「こうして越前はクリムゾンを手に入れた」
(こうしてって何??)

「しかし今、デスビスノスの放ったモンスターが越前に襲いかかる...」
(デスビスノスは、冒頭で奇声を発していた生命体)



オープニングムービーの内容はここまでになります。

「せっかくだから、俺は赤の扉を選ぶぜ!」の意味も分からないし、

「こうして越前はクリムゾンを手に入れた」と言われても、何がこうしてなのか分からないし、

何がなんだか分からないんですが、とにかくすごいものを見せられたな...という印象は残る。
そんなオープニングムービーだと思います。



ムササビを撃つと「オーノー!」

デスクリムゾン ムササビ


ゲーム中、ステージによってはムササビが登場します。
ムササビは滑空する動物ですが、このゲームのムササビは完全に空中の一点に停止して、モゾ…モゾ…と気だるく動いています。

そしてこのムササビ、撃つと「オーノー!」というボイスが流れ、コンバット越前のライフが減ります。

この「オーノー!」というボイス、ムササビが喋っているのではなく、同じように民間人を撃った時にも聴こえます。

なので、
「民間人を撃ってしまった!オーノー!」
「かわいいムササビを撃ってしまった!オーノー!」
という、コンバット越前の嘆きの叫びなのでしょう。



せみやまとデスクリムゾンの思い出

高校時代、デスクリムゾンの事を知り、その異様な世界観に魅せられたせみやま(当時のハンドルネームは下降気流)。

伝説のオープニングムービーを見たくてたまらなかったのですが、当時はyoutubeも無く、ソフトをセガサターンの実機で動かす以外に、見る方法はありませんでした。

セガサターン本体は持っていたので、デスクリムゾンを入手すべく、地元のゲームショップやブックオフ、ハードオフをしらみつぶしに探したんですが、見つける事ができませんでした。

友人と秋葉原を訪れ、マニアックなゲームショップでデスクリムゾンを発見した時は胸が躍ったのですが、なんと12,000円という法外な値段がついており、やむなく購入を見送りました。

当時はまだ、ヤフオクもAmazon日本語版も存在しておらず、どうすれば入手できるのか分からず、途方に暮れていました。
(ヤフオクのサービス開始は1999年9月28日、Amazonは2000年11月1日)

藁にもすがる想いで、セガサターンの発売元であるセガが運営していたセガBBSに「甲府近辺で売ってる所知りませんか」と書き込んだところ、その書き込みを読んだ方から「デスクリムゾン買いませんか?」というメールをいただきました。

先方にご提示いただいた金額は6,000円。
秋葉原のショップでつけられていた金額の半値で、さらにクソゲーつながりという事で、スーファミの「ラブクエスト」というゲームもセットでいかがですか、というご提案でした。

ラブクエスト
ラブクエスト


ラブクエストも遊んでみたかったので、是非ともお願いしますとお伝えし、
「こうしてせみやまはデスクリムゾンを手に入れた」となった訳です。

念願のデスクリムゾンを入手した僕は、はやる気持ちを抑え、さっそくゲームを起動しました。

スキップできない仮面のロゴ画面の洗礼を受け、伝説のオープニングムービーを堪能。

そしてゲーム本編にもチャレンジし、ムササビを撃ってオーノーと言われ、苦労しましたが、ラスボスのデスビスノスを撃破するところまで、辿り着く事ができました。


デスクリムゾンとホムペ戦士たち

僕がインターネットを始めた1998年当時、デスクリムゾンは発売から2年ほどが経過していましたが、デスクリムゾンの毒気にあてられたユーザーの何人かが、自分でもよく分からない衝動に駆られ、デスクリムゾンのファンサイトを続々と立ち上げていました。

今表示されているこのホムペも、部活に所属せず、エネルギーのぶつけどころが無かった当時の僕が

「とにかく作ってみようぜぇ!」

と、メモ帳でHTMLをゴリゴリ書いて作ったものが原点になっています。


きてはあさん運営 ホームページのアレ(仮題)

僕が初めて掲示板にカキコしたのは、ホムペ内にデスクリムゾンの特集コーナーを作っていた、きてはあさんの運営する「ホームページのアレ(仮題)」でした。

どきどきしながら、初めてteacupの掲示板にカキコした時の事を、昨日の事のように思い出します。

僕のカキコに、きてはあさんはとても気さくにレスをして下さり、交流させていただきました。

最初にきてはあさんのホムペに辿り着けたことが、今思うと、とてもラッキーだったと思います。
きてはあさん、あの頃、本当にありがとうございました。



シャトレーゼ赤威さん運営【Crimson Fairytale】―シャトレーゼ赤威のホムペ―

その後、シャトレーゼ赤威さんの運営する「【Crimson Fairytale】―シャトレーゼ赤威のホムペ―」にもお邪魔させていただきました。

【Crimson Fairytale】は、シャトレーゼ赤威さんによる、デスクリムゾンに特化したホムペです。
来場者によるゲームのクリア報告をホムペ上に掲載し、その栄誉を称える「KOT証明」というコーナーがあり、僕を含めて多くのデスクリムゾン・ファンで賑わっていました。
(KOT証明というコーナー名は、ゲーム中に登場するKOT症候群から来ています)

また、ゲーム内での最高得点を競うスコアアタックも行っており、こちらにも参加させていただきました。
このスコアアタックに関しては、後でより詳しく書きます。

【Crimson Fairytale】の30,000ヒット(アクセス)記念には、僕が制作した、デスクリムゾンをテーマにしたGIFアニメ『ウッカリ社長さん』を贈呈させていただきました。
このGIFアニメ、今でもシャトレーゼ赤威さんのホムペ記念館に展示していただいていて、とても光栄に思います。


デスクリムゾン GIFアニメ ウッカリ社長さん




シャトレーゼ赤威さんはその後「@JOJO アットマーク・ジョジョ」というジョジョのファンサイトを立ち上げられました。
一時期はGoogleで「ジョジョ」と検索すると@JOJOが1番上に表示されるという、ジョジョに特化した巨大な情報サイトでした。
現在は更新を停止されています。




Matさん運営 デスクリムゾンリンク集 ~せっかくだから俺はこのリンクを選ぶぜ~

Matさん運営の「デスクリムゾンリンク集」は、デスクリムゾン関連のコンテンツのある、あらゆるサイトを網羅する巨大なデータベースです。
僕のホムペ「赤き死よ、来たれ」も、当時リンクに追加していただきました。

Matさんは僕のホムペの掲示板にもカキコしていただき、交流させていただきました。

Matさん、その節はありがとうございました。

デスクリムゾンリンク集」はMatさん運営の「Matのホームページ」のコンテンツになっています。
Matさんのホムペは他のコンテンツも非常に充実しており、盛り沢山の内容になっています。



せみやま(下降気流)運営 赤き死よ、来たれ

1998年~1999年に僕が運営していたホムペ「赤き死よ、来たれ」。

デスクリムゾンについてのコンテンツは「クリムゾンを、君に」というコーナーにまとめ、デスクリムゾンのステージごとのスコアアタックなど、参加型企画をやっていました。
ホムペにある掲示板はデスクリムゾンを通じて知り合った方々のカキコが並び、交流させていただいていました。

2021年のホムペの復活にあたり、「クリムゾンを、君に」の内容は全て刷新し、デスクリムゾンという作品の面白さ、見所を伝えるページとしてお届けしています。


スコアアタックについて

前述のシャトレーゼ赤威さんのホムペ上のコーナーで、各ステージごとのハイスコアを競う参加型の企画がありました。

当時、最高得点は10万点前後でしたが、僕は「ザコ敵が絶命する瞬間、再度撃つと得点になる。しかも何度でも」という現象に目をつけ、ザコ的に対して鬼の連打を実行。
若く、他に行き所がなかったエネルギーが「デスクリムゾンのスコアアタック」という、その一点にのみ投入された訳です。

全てのエネルギーをセガサターンのパッドに叩きつけた高校時代の僕は、記録を一気に塗り替える30万点台のスコアを出す事に成功。
シャトレーゼ赤威さんのホムペの掲示板に、意気揚々とカキコしたものです。

その後、30万点以上のスコアを出す猛者が続出し、初代王者として、なんとか首位を防衛しようと頑張ったのですが、最終的には陥落となりました。


ただ、この話にはもう少し続きがあり、当時、ゲーム雑誌のファミ通では「やり込みゲーム大賞」という不定期の企画が行われていました。

RPGでテクニックを駆使して極端な低レベルでのクリアを目指すなど「よくもまあ、そこまで!」と言いたくなるような過激なやり込みの数々が紹介されており、ゲーム好きにはたまらない名物企画でした。

FFV(ファイナルファンタジー5)を初期レベルでクリアするなど、本当に意味が分からないやり込みが沢山紹介されていましたね。

その「やり込みゲーム大賞」に憧れていた僕は、30万点のスコアを出したプレイ動画をVHSで録画して、ファミ通編集部宛てに送りました。

その結果、ファミ通紙面に
「暗黒ガンシューティング」
「何もこのゲームを選ばんでも…」
というコメントと共に、特別枠扱いで掲載されたのでした。

ファミ通は「ガバス」という、雑誌でのみ有効な仮想通貨を発行しており、この「やり込みゲーム大賞」のような読者参加型の企画に投稿すると、内容に応じたポイントのガバスをもらう事ができました。
貯めたガバスはゲーム関連の商品と交換する事ができるようになっていました。

ただ、デスクリムゾンのスコアアタックでもらえたのは「500ガバス」。

一番少ないポイントで交換できる商品がプレステのメモリーカード(1800ガバス)だったので、500ガバスだけ持っていても、あまり価値はありませんでした。

その結果、10年くらいず~っと500ガバスだけを所有していましたが、今は無くしてしまいました。

1999年のひと夏を費やして必死に連打し、親指に連打ダコを作った結果が500ガバスなのか…と、無常感に襲われた事を覚えています。



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