丸石道祖神のイベントに参加!(山梨県立美術館)
目次
丸石道祖神・丸石神とは?
山梨県の道ばたに道祖神として祀られている完全な球体、もしくはゆるやかな丸みを帯びた石の事です。笛吹市で撮影した丸石道祖神。
甲府市武田にあるお寺、満蔵院の境内にある丸石道祖神。
丸石道祖神は山梨県の甲府盆地内ではありふれた存在である一方、他の地域ではほとんど見られない特異な文化で、本格的な研究がされた事がほぼ無く、多くの謎に包まれています。
僕の実家の敷地にも「屋敷神さま」として丸石を祀った小さなほこらがあって、幼い頃に丸石を転がして遊んでいたら、母に「これは神様だから遊んじゃダメ!」とたしなめられた事があります。
山梨県内を移動していると、ふとした時に丸石道祖神を見かけます。
その度に「この丸石はデカいな~」「この丸石神、けっこう赤みがかってるな」など、しばし足を止めて丸石を鑑賞するのが習慣になっていました。
なんなのかよく分からないし、いつからあるのか分からないけど、丸っこくて愛らしく、気になる存在。
自分にとっての丸石道祖神はそんな存在でした。
今回、その丸石道祖神にフィーチャーした展示とイベントが行われるという事で、これは行かねばなるまい!と、県立美術館に足を伸ばす事にしたのでした。
道祖神リプレゼンテーション
東日本大震災の影響で水を溜める事ができなくなった山梨県立美術館の北池に、大量の石を運び込んで設営された丸石のインスタレーションです。いい感じの大きな丸石が置いてありました。
来場者が自分で持ってきた石を祀ってもよい、という趣向だったようです。
映像上映「道祖神芸術調査グループ ドキュメント」
今回の企画の立案者である美術家の深澤孝史さんを中心に結成された丸石道祖神の研究グループによるドキュメント映像「道祖神芸術調査グループ ドキュメント」の上映会が行われました。深澤さん自らPCを操作し、解説を交えながらドキュメント映像を観ていくという流れでした。
山梨県立美術館内の工房に集まって(事前予約が必要でした)鑑賞ができる他、Zoomでの鑑賞も可能になっていました。
映像の内容と、印象をざっくりと書き出してみます。
山梨市で調査を行うメンバーの方々。
歩いて丸石を見つけては、それぞれの目線で所感を述べる様子が映し出されます。
丸石については、自分の中で秘かに愛でているだけだったので、これだけ大勢の方が本格的に調査に乗り出している様子を見ると、かなりの迫力を感じずにはいられませんでした。
石を拾って敷地に並べている山梨市のおじさんが登場して、その方に調査団の方がインタビューを敢行。
「川でいいのを見つけたら拾ってくるんだよね~。こないだ石拾ってたら、ゴルフボール拾ってるおじさんと鉢合わせて、お互いに相手が欲しいのを拾ったら交換しようって事になったよ、アッハッハ!」と豪快に笑うおじさんのキャラクターがとても良くて、ほっこりしました。
その他、印象的な内容・場面を箇条書きで書いてみます。
・元々、丸石と道祖神は違うもの。それが習合したと考えられる。
・山梨で丸石を祀るのは、川が多く急流域に丸石が産出するため?という仮説
・コンポストの重しになっている小さな丸石(丸石未満)
オンラインレクチャー「丸石神の人類学」
人類学者の中沢新一さんによる、丸石についてのオンラインレクチャーです。中沢さんの映像は会場内のプロジェクターに大きく映し出されていました。
中沢さんは、お父さんの中沢厚さんが民俗学の研究をされており、1973年には「山梨県の道祖神」という本を出版。
この本の中では、山梨の丸石道祖神の事も取り上げられていました。
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お父さんの影響でご自身も丸石道祖神に関心があり、さらにお父さんの妹の夫にあたるのが歴史学者の網野善彦氏で、網野氏も丸石道祖神には深い関心を抱いていたそうです。
一族総出で、丸石神に惹きつけられていたんですね。
中沢さんの出身である山梨市は丸石道祖神の多産地域でもあり、幼い頃から丸石を身近に感じていたそうです。
中沢さんは丸石の研究を進める内、丸石道祖神は甲府盆地の笛吹市流域に集中的に分布し、その他の地域には、県内でもまばらか、ほぼ皆無だという事を突き止めます。
丸石信仰の起源は古く、北杜市の縄文時代の遺跡「金生遺跡」から、丸石と台座が出土したという話もあり、笛吹川流域に暮らしていた縄文人の集団が、抽象的な丸石を信仰する文化を持っていたのでは?と話されていました。
美術界に影響を与えた丸石と、山梨市にやってきたアルファロメオ
中沢さんのお話で印象的だったのが、美術界と丸石にまつわるエピソードです。中沢さんのお父さんが「山梨県の道祖神」という本を出版してしばらく後の事。
アーティストの石子順造という方が、アーティスト仲間を引き連れて、大挙して中沢さんのお父さんの元にやってきた、というのです。
「山梨県の道祖神」を読んで丸石の事を知ったアーティストの中に、根源的なアートとして丸石をとらえた人たちがおり、聖地を目指すような気持ちで山梨市にやって来た訳なんですね。
中沢さんはお父さんに頼まれて、そのアーティストたちを丸石道祖神に案内したのだそうです。
その際にアルファロメオなどの外車でやって来たアーティストたちに、外車を見た事が無かった地元の子供も大人も大興奮。
そしてアーティストたちは丸石神に大興奮。
そんな入り乱れた構図があったそうです。
丸石に魅せられ、山梨に住んだアーティスト 堀 愼吉
この時に、石子順造氏と共に山梨にやって来て丸石に触れたアーティストに、 堀愼吉という方がいました。高知県出身の方ですが、丸石に魅せられ、中沢さんのお祖母さんが住んでいた集落に居を構えました。
2003年に亡くなるまで、山梨県に住まれていたようです。
中沢新一さんに、屋敷神について質問させていただきました
イベントの最後に、中沢さんへの質問タイムを設けていただいたので、屋敷神と道祖神についてご質問をさせていただきました。「丸石道祖神と屋敷神の関係性について、教えていただけたらありがたいです」と質問をさせていただいたところ、
「元々屋敷神は、自宅の敷地内に作られた、祖先のお墓なんです。日本でも、特に山間地では、そうした風習がありました。神道は生と死をはっきり分けて、死をケガレとして扱いますが、丸石信仰にはそういう区分が無いんですね。」と、そんなニュアンスでご回答いただきました。
自宅の敷地にお墓を作る民族がいる、という話は聞いた事があったんですが、かつての日本にもそういう風習があり、僕の実家の屋敷神も、そういう風習の名残なんだと思うと、なんだか凄まじい気持ちになり、とても興味深かったです。
中沢さん、ご回答ありがとうございました!
まとめ
これまで、ごく個人的に愛好していた丸石について、笛吹川流域に多いなどの大きなヒントや、縄文時代から続く文化である可能性があるなど、ダイナミックで立体的な視点で見る事ができて、とても興味深い示唆を受け取る事ができて、本当に参加して良かったです。自分の身の回りにある丸石神について、改めて鑑賞したり、写真を撮ったりしたくなりましたね。
道祖神リプレゼンテーションの関係者の皆様、本当にありがとうございました!
参考リンク
下のページで、道祖神芸術調査グループ発行の「道祖神しんぶん」が読めます。こちらもぜひどうぞ↓丸石の写真をたくさん掲載されているブログです↓