オネスティ(誠実)
特にクワガタが大好きで、日本に分布しているクワガタを亜種も含めて詳しく解説している図鑑がお気に入りで、何度も繰り返し読んでいた。
そのおかげでと言うか副作用というか、今でもその時に覚えたクワガタの種名は暗唱できる。
「リュウキュウコクワガタ、ハチジョウノコギリクワガタ、ミクラミヤマクワガタ、スジブトヒラタクワガタ…」
という具合に。
図鑑を眺めるだけでなく、父や弟と山に分け入って捕獲したクワガタを飼育して、一匹一匹に名前をつけて可愛がっていた。
クワガタの健康のために、体にたかったダニを使い古した歯ブラシでとってあげたりもしていた。
ある夏の夜、夜更かししてクワガタを眺めていると、不思議な行動をしている個体がいた。
大きなミヤマクワガタのオスが、メスの上に乗っかっている。
なんだろうと思ってじっと見ていると、オスのお尻から何か細いものが伸びて、メスのお尻に触れているようだった。
当時はその意味が分からず、何だろうと思いながら観察していた記憶がある。
クワガタの不思議な行動を目撃してから、しばらく経ったある日のこと。
学校が休みの日で、僕は子供部屋で一人で遊び、母が台所に立っていた。
ふと、幼い僕はこう思ったのだと思う。
「お母さんなら、クワガタが何をしてたか知ってるかな?」
「ねえねえ、お母さん」
「んー? なあに?」
「こないだねー、クワガタのオスがメスの上に乗ってたんだよー!」
「!?」
そして、幼い僕は飛躍する。
「お父さんもお母さんに乗ったりするのー?」
「…」
「ねえ、お母さーん」
その時の母の様子は、30年近く経った今も忘れられない。
僕に目を向けず、視線は手元の洗い物に。
声ははっきりと、
「そうよ!!!」
母の強張った表情と苛立たしげな声から、子供ながらに「何かまずい事言っちゃったっぽいぞ」と察して、それ以上の質問を投げかける事はなかった。
それ以来ずっと、この件については、幼さゆえの無知ゆえに怒られてしまった、という印象しかなかったのだけど、よくよく考えると母は、僕の質問に正確に、誠実に答えていたんだなあと感心してしまう。
やめなさい!とも、
うるさいわね!とも言えたのに…。
今にして、そんな母にある種、敬服の念さえ覚えてしまうのだ。