スーファミ内蔵テレビ(シャープ SF1)の思い出
今日はシャープが発売した伝説のテレビ「スーパーファミコン内蔵テレビ・SF1」の思い出について書いてみようと思います。
スーファミが家に来るまで
子供の頃、自宅でテレビゲームが出来るようになったのは同年代の子よりも少し遅く、スーファミが発売開始してしばらく経った、90年代前半の事でした。多くの友人はスーファミ登場前から自宅にファミコンがあり、ドラクエ3やマリオブラザーズを楽しんでいましたね。
ただ僕は、あのファミコン特有の色数の少ない画面が、なんとなく怖かったんです。
人の顔とか、白くて幽霊のようだし。
なので「ファミコン買って!」と、親にねだる事はありませんでした。
逆にモノクロのゲームは大丈夫だったようで、ゲームウォッチにハマっていました。
ここで言うゲームウォッチは、任天堂の「ゲーム&ウォッチ」ではなく、ドラゴンボールやウルトラマンなど、版権キャラが登場する、「1ハードにつき1ゲームが遊べるおもちゃ」の事です。
おもちゃ屋や、レストランのレジ横に売っていたような記憶があります。
今から考えると何が面白くてやっていたのか分かりませんが、モノクロの孫悟空を使って、ひたすらフリーザと戦っていました。
当時の自分のゲームウォッチ熱は相当高まっていたらしく、父が「誕生日にスーパーファミコンを買ってあげる」と言ってくれた時も「ゲームウォッチがあるからいらない」と、一度断った記憶があります。
ただ父自身もゲームに興味があったのか、粘られて、結局スーファミを買ってもらう事になりました。
最初に買ってもらったゲームは、低空飛行する未来のマシンを操るレースゲーム「F-ZERO」、横スクロールシューティングゲーム「グラディウスIII」、そして「スーパーマリオワールド」の3本でした。
小学生当時の自分からすると「F-ZERO」「グラディウスIII」はちょっとクールで大人っぽい印象があり、難易度のハードルも高かったんですが「スーパーマリオワールド」には、弟と共にどハマリしました。
相棒のヨッシーに乗れるアクションの楽しさはもちろん、背景の隅々から、何気なく登場するザコキャラの一体に至るまで、全ての要素が「マリオワールド」の世界観の中で魅力的にまとめられていて、心をガッシリとつかまれましたね。
こうしてスーファミと「スーパーマリオワールド」をきっかけに、テレビゲームの世界にどっぷりと浸かっていきました。
スーファミ内蔵テレビとの思い出
小学校の高学年に上がった頃、僕と弟にはそれぞれ個室の子供部屋が与えられましたが、自宅にスーファミは1台しかありませんでした。なので、どちらかが一人用のゲームをやっている時は、もう片方は見ているか、他の事をしていました。
特に不自由も感じていませんでしたが、父は不憫に思ったのか、それぞれが別のゲームで遊べる環境を用意してくれました。
テレビとスーファミ本体をもう一組購入する事も出来た筈ですが、父がその時に採用したのは、一撃で子供たちの需要を満たす画期的なソリューションでした。
それが、シャープが販売していた
「スーパーファミコン内蔵テレビ・SF1」です。
商品名が全てを物語っており、補足の必要も無いんですが、このテレビ、まさしくスーファミを内蔵しており、画面の上にスーファミのROMを差し込めるスロットが、画面下にコントローラー端子が2つついていました。
この「テレビからカセットやコントローラーが生えている」というビジュアル、遊びに来た友人にも、当時かなりのインパクトを与えていたようです。
このスーファミ内蔵テレビ、我が家にとっては、一体型になっている事自体がメリットでした。
どう言う事かと言うと、夏休み・冬休みに父の実家の山形県に車で移動する際、当時父が乗っていた「ボルボ 940」の荷室に、このスーファミ内蔵テレビを積んで、ゲームで遊んでいたんです。
ボルボの荷室は後部座席を完全に倒して、空間を広く取る事が出来るので、小学生の体格であれば、弟と2人でいても狭さは全く感じませんでした。
電源は、何らかの機械かアダプタを介して車から取っていましたね。
現行のボルボには家庭用電源プラグを差せるコンセントを車内に備えている機種もあるようなので、もしかしたら父のボルボにも同じような機構があったのかもしれません。
↑父が乗っていたのと同型のボルボに現役で乗られている方の記事です。
関東から山形県への長い道のり、東北自動車道を走りながら「ドラゴンクエストV」のラスボスと戦った記憶が、今でも鮮明に蘇ります。
「スーファミ本体+テレビ」という組み合わせだと、配線も面倒ですし、振動が加わった時に接触不良でゲームが中断してしまい、とても遊ぶどころではなかったと思います。
今、商品写真を見返しても「俺がスーファミ内蔵テレビだ。文句あるか」と言わんばかりの圧倒的な存在感を感じるスーファミ内蔵テレビ。
車内でも抜群の安定感がありました。
さよなら、スーファミ内蔵テレビ
このスーファミ内蔵テレビ、2000年代前半頃まで現役でテレビとして使っていました。地上アナログが停波したのは2011年なので、まだまだ余裕で現役テレビとして活用してましたね。
ただ、内蔵したスーファミはガタが来ており、ゲーム画面の色がおかしくなっていました。
もはやスーファミを内蔵している意味は失われており、それでもスーファミで遊びたくて、スーファミ内蔵テレビに別のスーファミを接続して使うという、本末転倒な事もやっていましたが…。
その後、東京から山梨に転居するのをきっかけに、当時一人暮らしを始めたばかりでテレビを持っていなかった友人に、このスーファミ内蔵テレビを譲りました。
山梨の実家なら他のテレビがあるし、より必要としている人に使ってもらえれば、スーファミ内蔵テレビも本望だろう…と思っての事です。
何年か後に、天寿を全うしたスーファミ内蔵テレビを「さんざんお世話になったけど、処分してもいいかな・・・」と友人から連絡を貰った時は、正直「まだ使ってくれてたんだ・・・」という驚きを隠せませんでした。
それと共に「わざわざ連絡くれて、ありがたいな」という友人への感謝と、「こんなに長い間、お疲れ様」という、スーファミ内蔵テレビへの感謝の気持ちで、胸が熱くなりました。
スーファミ内蔵テレビの思い出について、ラジオで語りました
「セミラジオ ~生き物とサブカル~」というポッドキャスト番組を配信しているんですが、そこでもスーファミ内蔵テレビの思い出について語りました。聴いてみてくださいね!