フランシスコ・ザビエルのミイラと、世界各地にある体の一部
歴史の教科書で習ったイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエル。
最近、彼の体が死後、ミイラ化した状態で保存され、しかも世界各地に体の一部が保管されている事を知って驚きました。
目次
フランシスコ・ザビエルの晩年
日本全土での効果的な布教のためには、日本に強い影響力を持つ中国での布教が必要と考え、1552年9月に中国の上川島に渡ります。しかし中国本土への入境はスムーズに進まず、病気になってしまったザビエルは同年12月3日、上川島で亡くなりました。
フランシスコ・ザビエルの遺体 インド・ゴアへの移送
一度は上川島に埋葬されたザビエルですが、移送のため1553年2月に掘り起こされました。死後2か月が経過しているにも関わらず、ザビエルの遺体は腐敗しておらず、人々は驚いたそうです。
ザビエルの体は大量の石灰とともに埋葬されており、この事が保存状態に影響を与えたのかもしれません。
ザビエルの遺体はマラッカを経て、インドのゴアにあった聖パウロ聖堂に安置されました。
フランシスコ・ザビエル 聖人認定と、聖遺物としての遺体の分散
1622年、ザビエルは教皇グレゴリウス15世によって「聖人」の認定を受けました。以降、彼の遺体の一部は聖遺物として、各地に分散していく事になります。
フランシスコ・ザビエルの遺体
引用:Falko Berger
インドのゴアにある聖パウロ聖堂に安置されていたザビエルの遺体は1605年に竣工したボム・ジェズ教会に移送され、現在まで保管されています。
フランシスコ・ザビエルの右足の指
ザビエルの遺体は1554年3月16日から3日間、ゴアの聖パウロ聖堂で一般向けに拝観が許可されました。その際、拝観者の一人の女性が、ザビエルの右足の指2本(小指と薬指)を秘かに噛み切って持ち去り、自宅で保存していました。
彼女の死後、指の一本は遺族により聖堂に返還され、今はスペインにあるザビエルの生家であるザビエル城で保管されています。
残りの一本は人手に渡り、現在はリスボンのノヴァ・ゴア伯爵家が保管しているようです。
参考リンク:2009年に展示されたノヴァ・ゴア家所有のザビエルの足指
フランシスコ・ザビエルの右腕(肘から指先まで)
1614年、ローマのイエズス会総長の命令で、ザビエルの遺体の右腕(肘から指先まで)が切断されました。この時、死後50年が経っているにもかかわらず鮮血があふれ出したとされており、これをもって「奇跡」と認定がされ、後の聖人認定に発展する事になります。
この右腕は現在、ローマ・ジェズ協会に安置されています。
この右腕は1949年と1999年の2回に渡り、それぞれザビエル来朝400年と450年を記念して、日本で展示が行われました。
フランシスコ・ザビエルの右上腕部(肩から肘まで)
1614年に切断されたザビエルの右腕ですが、肩から肘までの上腕部は、胴体と共に保管されていました。1619年、日本のイエズス会の要請に応え、2度目の切断が行われます。
肩から肘までの上腕部が切断され、マカオを経て日本に運ばれますが、キリスト教の迫害が始まっていた日本では安全に保管する事が難しかったため、マカオに送り返されました。
現在、ザビエルの右上腕部はマカオの聖ヨセフ修道院に保管されています。
日本国内のフランシスコ・ザビエルの体の一部
日本とゆかりの深かったザビエル。日本国内にも、ザビエルの遺体の一部(聖遺物)を保管する教会・聖堂が何か所か存在します。
東京・カトリック神田教会
キリスト生誕2000年にあたる西暦2000年(大聖年)に、ザビエルの聖遺骨が安置されました。山口サビエル記念聖堂
ザビエルと縁の深い山口県では「サビエル」と濁らずに読むそうです。サビエル記念聖堂には、ザビエルの右手の指の骨が納られています。
鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂
こちらの聖堂には、ザビエルの体の骨の一部が納められています。(バチカン証明書付)大分トラピスト修道院
修道院展示室には、ザビエルの右腕の皮膚が納められています。フランシスコ・ザビエル 体の一部(聖遺物)所在地
各地に分散したザビエルの遺体と体の一部(聖遺物)の所在地を、自分の調べた範囲でGoogleマイマップにまとめました。参考リンク:聖フランシスコ・ザビエルの遺物(英語)