恐竜の化石を巨大な飛べない鳥と信じたある研究者の話
その研究者は、その頃、見つかりはじめていた恐竜の骨を観察して、
「これは古代に生きていた、
飛べない巨大な鳥の骨に違いない。」
と考えて、その「巨大な飛べない鳥」についての論文を書き、生涯をその研究に捧げたのだそうです。
教科書に載っていた、その話の結びには、
「彼は、彼の想像した世界に
最後まで生きる事ができて、幸せだったに違いない」
と書かれていました。
当時の自分には、理解できませんでした。
今の研究結果から見たら、彼が言う「巨大な飛べない鳥」の骨は恐竜の化石であって、結果的には彼は間違っていたのですから。
間違った考えにとりつかれた人生の、何が幸せなんだと、当時は思いました。
※恐竜のある系統の子孫が鳥である。というのが現在の定説なので、ちょっとややこしいんですが。
しかし、今は別の考えがあります。
僕も、彼は幸せだったと思います。
色々調べてもその研究者の名前は分かりませんでしたが、
彼は幸せだったと思うんです。
僕自身に関して言うと、自分の持っている知識や世界観のかなりの割合を、自分で考えたものではなく、誰かに教わったり、メディアから得たものが占めていると思います。
例えば外国。ほとんどの国に行った事はないですが、なんとなく聞きかじった情報を元に「ここはこういう国」というイメージでいます。
自宅の数軒先にどんな人が住んでいるかすら知らないのに、おかしな事ですよね。
巨大な飛べない鳥たちの世界を信じた研究者は、観察結果から想像・創造した唯一無二の世界を構築し、その世界を生きる事ができた。
たとえ結果的に、それは正しくなかったとしても、
それは素晴らしい。本当に素晴らしい事だと思います。
正しいか、正しくないかの二元論しか持たなかった当時の自分は「彼は幸せだったに違いない」という話の結論を理解できませんでした。
今はどうかというと「正しくあるべき」が蔓延している世の中を、窮屈に感じている自分がいます。
「正しい」「正しくない」のものさしだけではなく「自分にとって心地よい」「自分にとってはしっくりくる」という、自分マターで思考してもいいのかな。
という気がしています。
そういう意味で、最初に戻ると、
自分の想像した飛べない巨大な鳥の世界に生きる事ができた彼の生き方は、逆説的に「正しい」
生き方としてすごく「正解」なんじゃないかと、そんな風に思います。