ジュリオ・ペリチオーニさんとゴッホの話
先日、ジュエリークリエイターのジュリオ・ペリチオーニさんを自宅に招いて、お話させていただく機会がありました!
ジュリオさんは油絵の技法をより深く学びたいとの事で、今回は自宅の一室を使って、妻のバク子と油絵のワークセッションをやる事になったのでした。
目次
ジュリオ・ペリチオーニさんのプロフィール
ジュリオさんの詳しいプロフィールはこちら(日本語です)↓イタリア・ローマ生まれのジュリオさんは、地元ローマのアトリエ・工房でイタリアの伝統的な宝飾技術を学び、ジュエリーのデザイン・制作に従事。
1995年に来日し、日本の彫金技術とイタリアの手彫り技術を融合させた「スプニアート」というオリジナルの手彫り技術を開発。
2010年には新ブランド「ETERNA」を立ち上げました。
現在、山梨県立宝石美術専門学校で講師をされているそうです。
甲府近辺に住んでいる方には「ココリの7・8階の学校」と言えば伝わると思います。
ジュリオ・ペリチオーニさんのブランド Eternaとは
Eterna公式サイトインスタグラム
ジュエリーブランド「Eterna」の作品は、ジュリオさんが一つ一つ手彫りで制作しています。
自然や神聖なイメージから着想を得て作られる作品は、どれも温かみと柔らかさを感じる事が出来ます。
イタリアで制作・配信されたゴッホの特集ラジオ番組
油絵のワークセッションの合間に、ジュリオさんが差し入れてくれたお菓子を食べながら、色々とお話をさせてもらいました。興味深かったのは、画家のゴッホについての話。
ジュリオさんはゴッホが相当好きなようで、最近、ゴッホをテーマにした「永遠の門 ゴッホの見た未来」も観たそうで、主演のウィレム・デフォーの事を「ゴッホ自身になりきっていた」と絶賛していました。
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ジュリオさんの母国のイタリアでは、最近、ゴッホについて徹底的に特集したラジオ番組が制作され、インターネットで配信されているそうで、その番組内で語られていた興味深いエピソードの数々を、ジュリオさんから聞く事が出来ました。
一部をご紹介したいと思います。
有名な絵「夜のカフェテラス」は、帽子とイーゼルにロウソクをくくりつけて描いていた。
ゴッホの絵の中でも有名な「夜のカフェテラス」。
夜の深い青とあたたかく黄色いカフェの明かりのコントラストが印象的な作品です。
夜、手元や絵が見えないので、普通の方法では描く事が出来ませんでした。
そこでゴッホがどうしたかと言うと、トレードマークの帽子やイーゼルにロウソクをくくりつけて、明るくして描いたそうです。
絵に火がついたら危なそうだとか、カフェの来客に白い目で見られただろうとか、色々考えてしまいました。
いとこに惚れてしまったゴッホ、親族から厄介者扱いを受ける。
年上のいとこに惚れ込んでしまったゴッホ。未亡人であるいとこに果敢にアタックしますが「とんでもない!」と、激しく拒絶されました。
それでもめげないゴッホは、いとこの家に乗り込み、ロウソクに手をかざし「この火の熱さを我慢できる間は、一緒にいさせてくれ!!」と懇願。
でも、かざしたその手は利き手ではない左手。
絵を描くための右手は決して犠牲にしない所に、ゴッホのゴッホたる所を感じた…という話。
自分の名前が刻まれた墓の前を、毎日歩いていたゴッホ
ゴッホの兄弟としては、精神面・金銭面で兄を支えた弟のテオが有名ですが、ゴッホには幼くして死産してしまった兄がいました。兄の名前は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
ゴッホと同じ名前です。
兄の命日は、1852年3月30日。ゴッホの誕生の、ちょうど1年前です。
両親は、悲しい別れのちょうど1年後、全く同じ日に生まれたゴッホの事を、亡き子の生まれ変わりのように感じて、同じ名前をつけたのかもしれません。
しかし、結果的にその事は、子供時代のゴッホに影を落とす事になりました。
ゴッホの自宅から学校までの道のりの途中に、あろう事かゴッホ家の墓地があり、幼年期のゴッホは、自分と同じ名前が刻まれた墓石を毎日見ていたのです。
それが、幼い少年の心にどんな影響を与えたのか、考えると恐ろしくなってしまいます。
しかし同時に、その経験があってのゴッホだったのだろうか…とも感じてしまいました。
ゴッホと宮沢賢治の共通点
神父の息子として生まれたゴッホ。一度は、父と同じく神父としての道を歩みはじめました。
過酷な労働環境で働く炭鉱夫に共鳴し、自分の立派な修道服を彼らにあげてしまい、自分はみすぼらしい身なりで暮らすなどしていました。
持たざる者に与えると言う、聖書の教えを遵守しようとした結果だったのだと思います。
しかしその行為は周囲から理解されず、教会からの批判も受け、キリスト教に失望したゴッホは、画家としての第二の人生を歩み始める事になります。
自分の後を継いで神父になってくれると思っていた父親とは、激しく衝突したそうです。
周囲との衝突や精神の不安定さに悩まされながら、多くの絵を描いたゴッホ。
37歳で亡くなりました。
ジュリオさんと話していて、ゴッホって誰かに似ているな…と思ったら、宮沢賢治と共通点がとても多い事に気づきました。
岩手の豪農の息子として生まれた賢治ですが、自分の恵まれた環境に罪悪感を覚えていました。
「弱い者・鉱物・自然」に心を寄せた賢治は、その心のままに書き綴った童話を数多く残しました。
自信の信念から法華宗教団「国柱会」に入信しましたが、実家の法華宗とは宗派違いだったため、父親と激しく対立する事になってしまいました。
そんな中でも唯一の理解者として賢治を支えたのは、妹のトシでした。
しかし、そのトシも若くして他界してしまい、以降の作風に影を落とす事になりました。
賢治もまた、37歳で他界したのでした。